なぜ「養生」なのか?

「健やかでありたい」と誰しも思っているはずです。

僕ももちろん例外ではなくて、今では考えられないけど、子どものころは虚弱体質で、物心がつく前に大きな病気をいくつも体験して、中学までは小児喘息で苦しみました。

その体質は治らない、とまで言われていたんです。
高校に入ってバレー部の部活をするようになってから、体力もついて改善したのですが、その原体験が大きい。

社会人になって、音楽業界で働くようになったときに、音楽のルーツとかを知っていくうち、メディスンマンとかシャーマニズム、ヨガとか、オルタナティブな考え方に触れて、スピリチュアリティ、禅、東洋医学と広がっていったんです。

それで、食べ方についての考えとかもだんだん入ってきた。
玄米とか食べ始めたり、味噌汁を飲むようになったり、自炊するようになったりしていったわけです。

身体と食べ物は大きく関係している。

メディスンマンのカルチャー、薬草というものをどう使うか?とか、植物を精霊として捉えるとか、そういうことにずっと関心があったし、そういうことを教えてくれる人もいて。

それから日本の旧暦とか陰陽五行を学び始めると、「あ、もうこれ完全に日本にあるんじゃん」と思って。

そこで、メディスンっていう横文字が養生に変わったんです。
変えてくれたきっかけはやっぱり、暦、それに紐づく陰陽五行。それが現代的な形で普及しているマクロビオティック。

自分なりに実践を粛々としてたんですよ。
別に人にどうこう言うわけでもなく、ずっと。

あるときに、
「暦のワークショップをしてほしい」と言われて。
内容を考えたときに、やっぱり養生の話が欠かせないっていうことがわかってきて。

暦は実践だから、道具じゃなくて道具をどう使うかだから。
それはやっぱり身体を整えるための道具なんです。
見つめていくと、暦と養生は切り離せないんだと。

なんで暦を使うか?
それは、健やかでありたいからです。

そこに紐づいて、だから、田植えをしましょう、こういうお祭りをしましょう、こういうふうに新月満月を見ましょう。

なぜって突き詰めていくと、ヘルス、健やかだと思うんですよ。だから、暦と養生ってことだなって、なっていきましたね。

放射能対策、被爆対策を見ていったときにも、「あ、これは結局、今まで学んできた養生の基礎、イコール放射能対策、ニアリーイコールぐらいではあるな確実に」って思ったし。

実際に保養キャンプって、関東東北の親子を山に招くっていうのを毎年やっていく中でも、やっぱりプログラムの中で僕たちが大事にしたいものを毎年話し合って、いろいろ核を作ってきたんです。

やっぱり、「とりあえず味噌汁は切らさないでおこう」とか、「毎年このキャンプで味噌を作って、その味噌を翌年食べよう」とか。

なんか、養生が軸になっていくんですよね、自然に。
だからすごく自然な自己探求と、これからの社会に求められてるものの探求の中で、自然に、なんか養生ってものが柱になってきました。

今も、そうじゃないですか。
結局、サバイブってことだと思うんです、今すごい問われているのは。

そこに対するアンサーとして、まずやっぱり、自分自身がわからないとそれは人に処方できないし、人をサポートもできないから。

まず自分の身体を整えるためには、っていう知性だよね。

養生知性を、養生値を高めるみたいな、そこが当面、この後何十年か、百年以上、もしかしたら、そこが結構僕たちの大きなテーマになっていくんじゃないかなっていう時代的感覚もすごくあります。

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